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【創作小説】とある猿の些細な夢

創作

「なあ、ここから出してくれよ」
きょろきょろと辺りを見渡したが、そこにはぼくしかいなかった。
「お前だよ、おまえ、お前しかいないだろう。なあ、本当にさあ、頼むからここから出してくれよ」

やや秋の匂いが強まった、平日の昼下り。
公園に付随した小さい動物園で猿がぼくに言った。

「退屈してるんだよ。たまに仲間の猿が来るんだけれど、あいつらはいいよなあ。野山を駆け回るなんて、童謡の一部みたいで恥ずかしいけれど、俺も野山を駆け回りたいぜ」
ぼくはただ猿を見つめた。
その猿はデパートに売られている陳腐でどうしょうもないくらいお喋りな猿の人形に似ていた。
「なあなあ、なんとか言えよ。俺がひとりで喋ってるみたいじゃないか」
「いっぴきだろ」
思わず言うと、猿はとびきり面白い冗談を聞いたように、げらげらと笑った。

「なあ、よく聞けよ」
とぼくは話し始める。
「檻の中にいることはとても幸せなことかもしれないぞ。例えばさ、そこらを駆け回ってる猿。まあ君の言い方を借りればさ、野山を駆け回ってる猿がどうして走り回ってるか考えたことがあるか? それはなあ、食料を得るためだよ。あいつらは決して駆け回りたくて、駆け回っているわけじゃない。それに比べて、君は幸せものだろ。毎日寝っ転がってるだけで、食料だって貰えるんだぜ、変わってほしいくらいだよ」
「じゃ、変わってくれよ」
「変われないよ」
「どうして」
「ぼくが君を逃し、その檻に入るとするだろう。放り出されておしまいさ。それで、また明日から仕事だよ。何も変わらない。明日になれば、猿を逃して、猿の檻に2分間入ってただけの、なんの変哲もない会社員に戻るだけさ」
「そんなことないよ、俺を逃し、お前がこの檻に入れば、死ぬまで、食べ物を与えてもらえる身分になるかもしれないぞ」
「そこのネームプレートに人間って書かれ、僕は見世物になるか? 馬鹿らしい。そんなはずがないじゃないか」
「なあ、俺を逃がすことになんのデメリットがある? 何もせずに食料だけ与えてもらいたいって考えるほど人生に絶望しているんだろ。ならこんな些細な挑戦なんて、微笑みながらやり遂げちゃえよ。それで、俺の言うとおりにしてごらんよ。そうすれば、もしかするとお前の望みが叶うかもしれないよ」

「田中さん、ご飯ですよ」
ぼくは檻の中から見える狭い空を見ていた。
白衣の女性が近づき、ぼくの口元にかつては個体であったであろう食べ物を運んでくる。

ぼくはそれを咀嚼するのだがなんの味も感じない。
ただ、ぼくは野山を駆け回っているであろういつかの猿のことを考える。
あのとき馬鹿にした猿のささやかな夢を考える。
それはいま考えればとても幸せな夢のように感じられる。
確かにただ食料を与えられる生活は楽ではあったが、面白みが何もなかった。
ぼくは野山を駆け回りたく、ここから逃げ出したく、暴れてみる。

白衣の女性はそんなぼくに慣れているのだろう、「はいはい」と言って注射をする。

途端に幸せな気持ちになる。
ふわふわとから体が暖まり、地面に沈んでいくように感じられる。そんな沈殿していく意識のなか、白衣の女性の声が聞こえる。

「あのひとって、どうしてここに運ばれてきのですか?」
「動物園の猿小屋の中で、猿になりきっていたらしいの」
「そんなに、猿が羨ましかったのでしょうか?」
「さあ、発狂するひとの考えなんてわからないわ。あっ、今のはオフレコよ」

ふたりの笑いが遠ざかっていく。
ぼくは時間の経過ももうわからない中、ただただ、眠りに落ちていく。その途中、いつか猿の下品な笑い声が聞こえた気がした。

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