【書評】マタギに憑りつかれた男『邂逅の森』熊谷達也

本の感想 本の感想

こんにちは。

人生で唯一何にも縛られない年齢である、60歳からが人生で最も重要であると常々思ってきました。
まあ、健康寿命が70歳と少しなので、相当短い時間ですが……

65歳になったら、「JR大人の会員倶楽部」に入ってたくさん旅をしたい、という夢と、もうひとつ――、
田舎でスローライフをしたい! という夢があります。

多分きっとこれは、デジタルネイティブだからこその思いでしょう。コンビニない村に暮らしてみたい。虫取りをしたい! なんて。
「現実を知らないから、そんなこと言える!」と云われるかもしれません。
それについては都合が悪いので無視することにします。

岩盤浴でぬくぬくとそんなスローライフを想像しながら熊谷達也の「邂逅の森」を開くとそこには自然と生きる人の現実ありました。

【本 × 岩盤浴】「もっと光を!」岩盤浴での読書
岩盤浴で読書をしてきました。はたして岩盤浴での読書は快適なのか? 本はよれよれになってしまうのか。特攻してきました。

自然に生かされるわけでもなく、自然を支配するわけでもない。自然と生きる人の現実ありました。

それは私の想像しているスローライフとは真逆でマタギという仕事に取り憑かれた男の話でした。

邂逅の森を読んで

物語の世界に放り込まれて

ページを開いた瞬間に物語のなかにいた。
それほどまでに強烈な引力をこの本から感じた。
真っ白な山のなか、突然あがる「ほーいっ、ほぉーりゃ、ほれやっ!」という奇声。走りまわるアオシンとそれを追うマタギたち、真っ白な雪に広がる真っ赤な血。そうして「勝負!」という声を叫ぶマタギたち。
――そんな世界が目の前に現れた。

当然、私にマタギの経験もなければ、雪山を歩いたこともない。もちろん、アオシンを見たことなければ、野兎だって見たことがない。そもそもアオシンってなに?

アオシン

アオシンはニホンジカのことらしい。

だが雪山で駆けまわるマタギと逃げ惑う獣の姿を、鮮明に脳内に思い浮かべることができた。
――、むしろ私はその場にマタギたちと共にいた。

騙りと真実

何故そこまで強烈な引力がこの作品にはあるのか。

それはこれがリアルだからである。
もちろん物語はフィクションであるのだが、とにかく書き込んでいるので、想像するのが容易なのだ。

風景描写や迫力の狩猟シーンはもちろんだが、何よりもこの話をリアルにしているのは「山言葉」や「山への信仰」である。

山言葉

「ええがっ、あど五間だ――、そりゃ出(カデハ)だぞうっ」
「――、富治よ、おめえな、ほんとうに獣ば憐れむ気持ちがあるならよ、鉄砲だろうと槍(タテ)だろうと小長柄だろうとな、最初の一撃でしとめてやらねばわがんね。余計に苦しませてはだめだ。それが獣に対する礼儀というもんだべしゃ――。」

「死ぬ(サジトル)くれぇ、酷がった――」

山への信仰

「――イッサイ、ニサイノシシ、ウマノケノカズ、タタカセタマエ、ヤマノカミ、アブラウンケンソワカ――」
北の方角に頭を向けてアオシシを横たえ、小長柄を南側の雪面に立てた中、善次郎が 唱える解体の呪文が、しんと静まり返った雪山に吸い込まれていく。
すべてのマタギが最も神妙な面持ちで佇むひと時である。
クマやアオシシを獲った際に頭領が唱える呪文を初めて山中で耳にした時、当時十四歳だった富治は、なんともいえない思いに囚われ、危うく涙を零しそうになったことを、 今でもはっきりと覚えている。

ミナグロは、山の神様の使いであり、化身でもある。もし間違えて獲ってしまったら、 獲ったクマのすべてを山の神様に供えて祈りを捧げ、赦しを請わなければならない。さらにそれだけではなく、そのマタギは「タテを収める」必要がある。その後はいっさいのマタギ仕事をやめなければならないのだ。

と云った言葉やマタギ内での信仰が山でのデキゴトをより鮮明にしている。

私はこの作品を読みながら、思わず年齢を確認した。この作品は作者である熊谷達也の経験談なのではないかと思ったからである。
熊谷達也が目で見たことを言葉で伝えているという風に感じられるほど、細部まで鮮明に描かれた作品だからこそ、容易に作品の中に入れたのだろう。
巻末には13冊の参考文献が挙げられている。調べ上げた事実と巧みに語られる騙りが合わさって、物語へと引き込む引力を生んでいる。

自然と生きると云うコト

私は前職でweb制作をやっていた。
残業だらけの職場で、当時の口癖は「太陽を見たい」だった。
今もだが、田舎に引越して、小さな畑を持って、晴耕雨読、地産地消で暮らしていきたいと思っている。
便利な社会を十分に利用しながら、なに云ってるんだと思われるかもしれないが、心では人間の生き方は本当はそうやって暮すべきではないかと思っている。
だからこそ、マタギの言葉は胸によく響いてきた。

「そういう問題じゃねえんだよ、兄貴。自分でもうまく言えねえが、俺あ、鉱山そのものが嫌になっちまったのさ。こんな山の奥に、これだけでけえ街があって、欲しいものはなんでも揃っていてよ、麓にはないような電灯の明かりまでが点いているってこと自体、何かが間違っているように思えてならねえ。人間てのは、お天道様と一緒に生きていくべき生き物だって、俺ぁ思うんだ。今までさんざん日陰を歩いてきた俺だけどよ、お天道様に逆らった生き方をしちゃあ、ろくな死に方が待ってねえ。今回の雪崩で、骨の髄までそれがわかった。ありゃあ、神様が俺たち人間に天罰を下したに違えねえんだ」

「軍隊が必要とする毛皮を生産する、あるいは、外貨を稼ぐためにアメリカやヨーロッ パさ毛皮ば輸出する。それは、お国のためだば仕方のねえことかもわがんね。だどもな、 本来、ウサギの幸せは野山を駆け回ることだべ。そうすた幸せを最初から奪っておいで 殺すのは、決していいことではねえのしゃ。そうまですて獣ば殺さねばなんねえ今の世の中は、徐々に狂ってきてるように、俺には思えてなんねえんだ。俺達マタギも、自分らでもわがらねえうちに、欲ば大っきくすてすまったような気がする。したがら、俺は組ば畳むことに決めだのしゃ。あったげ獣の命ばもらって暮らしてきたさげ、これ以上の殺生はもう十分だど思ったんだなす」

自然と共に生きることは1つの理想の形だが、それ相応の難しさがある。獣が取れなければ餓死するし、セーフティネットが一切ないと言っても過言ではない。
だからこそ、マタギたちは信仰を大切に守り抜き、過ぎた殺生は避けてきた。

それが気がつくと、毛皮を生み出すために、庭で獣を殺すために育てる人が増えた。
果たしてその獣たちは幸せなのだろうか。
今まで獣と真剣に勝負をしてきたマタギならではの思いだろう。

最後に山の主である大熊と闘いにマタギの最後を委ねた主人公。自然を支配するのではなく、生かされるわけでもない。常に真剣勝負をしている主人公こそ、自然と生きていると云えるのではないかと思った。

文学賞 W受賞作品

この作品は2014年に「直木賞」と「山本周五郎賞」をW受賞したことで話題になりました。
W受賞がどんなもんだいっと読み始めると、あっという間に引き込まれ、読了後、呆然としてしまうほど、充実した内容でした。
W受賞は伊達じゃない!

当時の選評がこちらになります。

熊谷達也-直木賞受賞作家|直木賞のすべて
直木賞受賞作家・熊谷達也(くまがい・たつや)の略歴や、候補作に対する選評の一部などをまとめています。|生没年月日:昭和33年/1958年4月25日~|受賞年齢:46歳2ヶ月|受賞作:『邂逅の森』(平成16年/2004年 長篇・約920枚)

それにしても選者だから仕方ないとはいえ、あまりにも言い方がきつすぎる気がしない気もしますが……。

おすすめ関連本

「邂逅の森」の骨太さ、マタギに打ち込む1人の人生を描いた物語は、宮尾登美子の「序の舞」を思い出させました。
第17回(1983年) 吉川英治文学賞受賞の本作は、島村津谷という女流作家の愛と芸術に悩みながら一筋に生き抜いた生涯が描かれていて、「邂逅の森」と似た「骨太さ」を感じました。
男男しい「邂逅の森」と芸術に生きる女の「序の舞」。
ぜひ比べてみてはいかがでしょうか。

「邂逅の森」→531ページ
「序の舞」→738ページ
みなさんは「邂逅の森」読んでどんな読後感を持ちましたでしょうか?

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