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【書評】生と死の温度、死者の描き方『冷めない紅茶』小川洋子

本の感想 本の感想

湖水に手をそっと入れる。決して波紋を作ってはいけない。その波紋がどう作用するのか分からないので・・・・・決して。
――、小川洋子の作品には静謐な文章の裏に不安がある。
静かに進む物語がどこか不安定で、一瞬たりとも油断することができない。「冷めない紅茶」も完成されているのだが、どこか未完成で、不格好で危なっかしい。


「冷めない紅茶」を選んだ理由

学生の頃から小川洋子の大ファンで、文学部の論文題材で「沈黙博物館」を取り上げたこともある。そのため、文庫化している小川洋子の作品は全て読んだ気がしていた。だから古本屋でこの本を見つけた時、「この表紙を見たことがない」と不安に襲われた。すぐに登録している「読書メーター」で読了リストを確認したが、名前がない。これはいけないと慌てて、会計に向かった。(実際は「完璧な病室」中公文庫で読了済みでした・・・・・・。)

著者:「小川洋子」情報

1962(昭和37)年、岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。
1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991(平成3)年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。主な著書に『やさしい訴え』『ホテル・アイリス』『沈黙博物館』『アンネ・フランクの記憶』『薬指の標本』『夜明けの縁をさ迷う人々』『猫を抱いて象と泳ぐ』等。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞。『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞受賞。翻訳された作品も多く、海外での評価も高い。

「冷めない紅茶」抜粋

中学の同級生の葬式で再会したK君。彼と一緒に過ごした不思議な空間。K君のいれてくれた紅茶は永遠に冷めない――。猥雑な生から透明な死へと傾斜していく現代の危うい完成を捉えた作品。

生と死の温度、死者の描き方

この本では、

  • 「わたし」と「サトウ」
  • 「K君」と「彼女」

2組の対照的なカップルが登場する。

  • 「わたし」と「サトウ」
    ― 温度の変化を感じさせるように物語に存在する。

出会った当時の2人は、

よく待ち合わせをしたR駅南口のクレープ屋の前は、わたしたちにとって幸せの場所だった。待ち合わせの時間が近づくと、一刻一刻がずきんずきんと音を立てて胸に突き刺さってくるようだった。約束がなくとも、そのクレープ屋を通り過ぎるときには、胸に響く音が聞こえてきそうだった。わたしたちはいつも、甘いクリームとバニラエッセンスの匂いの中で会った。

長い間大切にしていたのに、いつものまにか行方不明になっていた映画の半券が、そんながらくたのすきまからはらりと落ちてきた。(中略)あの頃のわたしは、そこに印刷された通し番号を、輝かしい合い言葉のようにしっかり暗唱していた。

と、彼らにも「輝かしい始まりの時」があったのだが、月日、年月が経つにつれて2人の温度にも変化が表れる。

K君と別れて、自分の部屋の鍵を開けた時、サトウがまだ帰っていなかったことはわたしをほっとさせた。

彼の質問はたいてい、模範的で平凡で現実的だ。わたしはそのことに気がついた。

サトウの字は昆虫のようだと、わたしはいつも思う。指先にのせると、足先に密集している小さな棘や、胸の堅い甲羅や、神経質に動く触覚が皮膚をちくちく刺して気持ち悪い、そんな字だ。

何かを質問している時のサトウが、わたしは嫌いなのだ。いつから嫌いになったのかは、よく分からなかった。ただ、最初から嫌いだった訳ではない。嫌いじゃない時もきっとあったのだろう、とぼんやり思い出すことがあるからだ。

  • 「K君」と「彼女」
    ―それに対応するように、「K君」と「彼女」が存在する。彼らは10年以上前から一緒にいるのだが、

彼女を見る時の彼の目には、気持ちがこもっていた。いとおしさや安らかさや清らかさや、そんな種類の気持ちだった。彼は決して、無造作に彼女を見たりしなかった。

あらかじめ用意され、磨き上げられたような会話だった。手作りのデザートがあり、紅茶の香りがあり、そして恋の始まりを記憶する鮮明な言葉がある、無傷な午後だった。

と、2人には温度の変化が感じられない。

「この紅茶、全然冷めてないわ。」
わたしは、ぽつりと言った。K君には聞こえなかったのか、彼は黙ったまま遠くを見続けていた。
(K君が紅茶を入れてくれてからもう随分たつのに、どうして全然冷めていないのであろう。)

ではどうして2人には温度の変化が生じないのか。それはそもそも2人が温度を持っていないからではないか。

(2人が出会った図書館で、「彼女」の後任の司書の話)
「木造の図書館が焼けたんだから、それはそれは物凄い火事だったらしいわね。火花の中を無数の紙切れが赤い蝶々みたいにゆらゆらと舞っていたんですって。一人か二人、死者も出たくらいですからね」

ふと気がつくと、そんな風景の透き間を一組のカップルが歩いていた。校庭の端をちょうどわたしに背を向けるような方角へ歩いていた。
(中略)
「K君と、彼女だわ。」
(中略)
中学生たちが何人も、二人のすぐそばを飛んだり跳ねたりしているのに、誰も彼らに注意を払おうとしなかった。

ここから導き出せるのは、彼らが「死者」である可能性である。
彼らは温度を持っていない「死者」。そのため彼らの温度は10年以上前から決して変わることがなく、完璧な状態を保っている。

猥雑な感情が交差する生者の世界と、完璧な状態から変化のない死者の世界。
多くの作家が恐ろしく醜い物として扱い、書くのが難しい死者の世界を、小川洋子は完璧に美しく、透明に書き切っている

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