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【書評】汽車大好きおじいさん―阿呆の再来『完全版 – 南蛮阿房列車(上)』阿川弘之

本の感想 本の感想

「こうなったからには、いっそよその国で阿房列車を運転してみてはどうだろう。折りある毎に外つ国々を訪れて汽車に乗り、阿房列車を書く――。」
内田百閒先生が最初の阿房列車の筆を染められてから四半世紀の時が経ち、運転士が変わった阿房列車が再び走り出した。


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著者:「阿川弘之」情報

1920(大正9)年広島県生まれ。東大国文科を繰上げ卒業、海軍に入り、中国で終戦。戦後、志賀直哉に師事し、『春の城』、『雲の墓標』、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海軍提督三部作などがある。『食味風々録』は読売文学賞受賞作品。1999年に文化勲章を受章。

「完全版 – 南蛮阿房列車(上)」抜粋

遠藤周作や北杜夫をはじめ、珍友・奇人らを道連れに、異国の鉄道を乗りまくる。著者ならではの、ユーモアと臨場感が満載の漫遊紀行の歴史的名作。全二十篇を網羅した完全版。上巻は「欧州畸人特急」から「最終オリエント急行」までの十篇。

汽車大好きおじいさん―阿呆の再来

まず最初に断っておきたいのだが、文化勲章を取った文豪を「阿呆」と言うとは何事だ、と思われるかもしれないが、「阿呆」とは私にとって最大の賛辞ですのであしからず。そもそも自分で「阿呆」と言っているじゃないかと言いたいのだが、百閒先生の言葉で、

阿房と云ふのは、人の思はくに調子をあはせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはゐない。

とあるように、そこは黙っておく。

「内田百閒先生が最初の阿房列車の筆を染められてから四半世紀の時が経ち、亡くなられてからもすでに五年になるが、あの衣鉢を継ごうという人が誰も現れない。」

この阿房列車はそう言って走り出すが、
「あの衣鉢を」継げるものならば、継ぎたいものであると私は声を大にして言いたい。
それだけの時間と余裕さえあればと言うのは言い訳だろうか。

阿川先生、
それを実行できることが羨ましくてたまらない。
さらにこの小説は著者に負けず劣らずの大文豪、遠藤周作、北杜夫が同行する。

遠藤周作
幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞
一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。1995(平成7)年、文化勲章受章。1996年、病没。

北杜夫
(1927-2011)東京青山生れ。旧制松本高校を経て、東北大学医学部を卒業。1960(昭和35)年、半年間の船医としての体験をもとに『どくとるマンボウ航海記』を刊行。同年、『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞。その後、『楡家の人びと』(毎日出版文化賞)、『輝ける碧き空の下で』(日本文学大賞)などの小説を発表する一方、ユーモアあふれるエッセイでも活躍した。父親斎藤茂吉の生涯をつづった「茂吉四部作」により大佛次郎賞受賞。

またこのふたりが猛烈に面白いのである。

まんぼうの行動は、終始、スローモーション・カメラが撮影した人物のそれの如く、狐狸庵の方は齣落としで、高崎山の猿のようにせわしない。

 

出発前の車内で、二人がまた変な問答をしていた。
「あー、僕は声がかれました。あー、声がかれました。喉頭癌かも知れんです。僕は遠藤 さんより一と足お先に此の世を辞しますから、あとはよろしく願います」
「それは君、ウイスキーの飲みすぎです。もう一遍あーと言ってごらん」
「あー」
「別に変じゃないよ」
「あー、あー、ドレミファソラシド。変です」

とヒマラヤ山系を同行した「阿房列車」に負けじとユーモアに溢れかえっている。
大文豪を、大文豪阿川弘之の視点から見れるというのは、遠藤周作、北杜夫、文豪ファンにも嬉しいのではないか。

そしてなんと言ってもこの阿房列車、外国を走るのである。

「百間先生お好みのオープン・デッキの展望車はとっくに姿を消し、とつおいつ考えているうちに一等車がグリーン車と名前を変え、蒸気機関車は無くなり、あまりお好みでなかった新幹線が、延々博多までのびてしまった。たいへん便利なものではあるけれど、百間先生同様、私も新幹線は味がないと思う。少なくとも阿房列車向きではない。
こうなったからには、いっそよその国で阿房列車を運転してみてはどうだろう。折り毎に外つ国々を訪れて汽車に乗り、南蛮阿房列車を書く―。」

なるほど、その手があったかと思わず拍手したくなる。

新幹線は旅情が感じられない、気持ちが置き去りにされた気がする。なんて文句を言って、青春18切符で鈍行の旅をする。しかもそれでもやっぱり百閒先生には近づけずに、寝台に乗りたいと検索して、なるほど、「ムーンライトながら」というモノがあるらしいと知り、また予約が取りにくいことも同時に知る。それなら仕方ない時代の変化には勝てないものである、と「昔は良かったおじさん」のような顔をする。

私がそんな自己満足に浸っている間、文化勲章の大文豪は海外に飛ぶという発想をする。
なるほど、私がいつまでたっても作家になんてなれない訳である。こんな発想力と行動力を持ち合わせた人がこの世には何人もいるのだろう。

それにしてもこの阿房列車、外国を走っているのに、どうして外国を感じさせないのだろうか。とはいえ、本物の阿房列車を読んだような懐かしさも感じさせない。
やっぱりあの、百閒先生の運転する阿房列車はもう読めないのかという少し寂しいような気持ちになる。

が、なんと言ってもーー、もう乗れないと思っていた阿房列車に、運転士は交代したけれど、乗ることができるとは幸せである。

汽車だけじゃなく、面白可笑しい人間模様も詳細に語れる、汽車好きじゃない私を楽しましてくれた阿房列車は運転士が交代しても変わらずに私に阿房を提供してくれる。

さて最後に、私が阿房列車と聞いてこの本を手に取らないワケがない。
こんなに内田百閒のお話をしていると内田百閒の回し者かと思われるが、回し者になりたいものである。

「阿川弘之」のおすすめ本

完全版 – 南蛮阿房列車(下)

この本を読んだひとにおすすめの本

第一阿房列車

元祖阿房列車。
この本を読まずに「完全版 – 南蛮阿房列車(上)」は語れません。
この本については、阿川弘之が「文章の上では及ぶべくもないが」と書かれているように、内田百閒の文章力で書かれる紀行文に勝てるものはない。

 

日本探見二泊三日

『自選南蛮阿房列車』の著者あとがきによると、さらに書き継ぐつもりでいたところ、阿川と親交が深かった編集者の宮脇俊三が鉄道紀行作家としてデビューし、活躍するようになったことと、『ピラミッド阿房列車』の旅の際に自身の体力の衰えを感じたことから、その先の執筆を止めたという。

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