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【小説】祈れセリヌンティウス(8972字)

祈れセリヌンティウス 創作

セリヌンティウスは激怒した。

――、書き出しはこれにしようとオレは考えて、紙に書き出してみて頷いた。

間違いない、たぶんこの小説は後世に残る一冊になるだろう。

なんたって、あの大事件。

なんたって、なんたってあの瞬間。

オレは世界の中心にいた。

 

オレにはもう時間がないかもしれない。

こうしている間もかつかつと彼らがやってくる気がしてソワソワしている。

かつんかつんと警吏の靴の音が聞こえて来るような気がしてくる。そんな時オレはあの事件を思い出して、オレは世界の中心にいた、と呟くのである。

 

 

セリヌンティウスは激怒した。

もちろんご存じだとは思うが、セリヌンティウスはオレのことだ。

で、なぜ激怒したかというと、ご存じメロスのせいである。

コトの発端は――、いや、そもそもである。

そもそもオレは、――、いま思い返せばメロスにムカついていた。

メロスは実に正義感に溢れた男である。それでいて真面目で、誰にでも優しくて、背が高くて、程々に筋肉がついた好青年である。

いやいや、早とちりしないでほしいのだが、決してオレはメロスに嫉妬しているわけではない。

そう、決して。

当然、メロスの性格は素晴らしいと思うし、彼の容姿はオレから見ても惚れ惚れする。

――、ただ。

そう、ただ。

メロスはその性格が当たり前で、皆がそういう風な考え方をしていると思いこんでいる節がある。言うなれば脳みそお花畑男なのである。

例えば、メロスと一緒にいた時のこと。

その日オレたちはぶらぶらと町を歩いていた。何をするわけでもなく、ただぶらぶらと歩いていた。

オレたちはよくそうやって話しながら町を歩いた。すれ違う人はメロスに挨拶をした。

「やあ、メロス、今日いい天気だね」

ってそんな具合に。

そうしてオレには軽く会釈をしてくるのである。

そうするとオレは無性に気まずくなる。分かるだろう――、ひとり放り出された感覚が。友達と飲んでいて、友達の友達がきた感覚。どういう顔していいのなあ、って少し笑ってみる。きっとぎこちない笑顔になってるんだろうなあ、って思いながら――。

と、まあでもそれはいい。それはメロスに人望があるってこと。

問題はその日、女性が男たちに絡まれていた。女性は泣きそうな顔をしていて、男たちは下品に笑っていた。メロスはそれを見た瞬間走り出した。女の前に立つと、

「なにをやってるんだ」と聞いた。

メロスは本当にかっこいいだろう、オレはどうしていいから分からないからさ、小走りでメロスの横に並んで小声で言った。

「なあ、メロス、早く帰ろう、今日は雨が降るぜ」って泣きそうな顔で。

オレのことは責めないでほしい。さっきも言ったけれど、メロスは程々に筋肉がついていて、さらに格闘技もやっている。

オレは細くて猫背で、よく折れちゃいそうって言われるタイプ。

――、そりゃ、怖い。

「いい子ぶるなよ」

女に絡んでいる男が言えばオレは心の中で強く賛同する。

「今日のところは帰ろう。たぶん友達同士の喧嘩だよ」

オレはメロスの耳元で囁く。

メロスは「またまた」と面白い冗談を聞いたように笑った。それは、よく勘違いされるのだが、皮肉なんかじゃない。メロスは本当に助けるのが当然だと思っている。

で、やっぱり始まるのが喧嘩。

メロスは格闘技が強くって、オレは骨が折れやすく見られるタイプ。自然とオレには攻撃が集まってきて、オレは耐える。ひたすら耐える。その間にメロスがひとりひとりやっつけていくお決まりのパターン。

「まあ、でも良かった」

さっぱりした顔のメロスはボコボコに殴られたオレに言う。

「何も良くないだろう」って思いながら、オレは女に感謝されているメロスを見ている。

そうしてオレには軽く会釈だけの女に向かって、ぎこちない笑顔で会釈を返した。

 

 

で、コトの発端。

セリヌンティウスは激怒した。

つまりオレがメロスに対して激怒することになった発端。

それは彼がオレのことを訪れる約束をしている日のコトであった。

メロスと会うのはだいたい二年ぶりくらいであった。オレが結婚してからメロスはあまりうちに寄り付かなくなった。

その日は朝からオレと嫁でメロスのためにご馳走を作った。

「今日はメロスが来るわね」

妻は朝からそう言って、張り切っていた。

ふたりで朝からシラクスの市場に買い物に行った。市場は日曜日の朝とは思えないほど、どんよりとしていた。

人はまばらで、商店の多くはがらんともぬけの殻だった。

妻はそれを見てため息をついて言った。

「変わってしまった、あんなに活気があったのに」

確かに町はずいぶん変わってしまった。夜でも皆が歌をうたって、町は賑やかであったのだが、いまそんな賑やかさはない。そうしてすれ違う人、すれ違う人が皆、怯えたような顔をしているのである。

「王様が悪いのよ」

妻が言った。

「――、やめておけ」

オレは妻に向かって言った。

その時ふとメロスのことが不安に思い出された。メロスがこの状況を目の当たりにした時、もしかすると、本当にもしかするとだが、メロスは改善しようとするのではないか。しかしこの状況を改善する? オレは自分で言って自分でおかしくなった。いくらメロスだって、まさか町を救おうなんて思わないだろう。

「本当にまさか」

オレは自分に言い聞かせるように言った。

「何を考えているの?」

妻が言った。

「メロスのことさ」

「あなた達は本当に仲がいいのね、嫉妬しちゃうくらい」

「無二の親友だもの」

オレは言った。

「歓迎しましょう」

妻はそう言ってオレの手を取ると、閑散とした市場を、手を振って歩き始めた。

 

 

妻は少しだけ怒った。

オレたちは冷めた食事を前に二人で座っていた。時刻はもう夜の十九時を過ぎていた。

妻はぷりぷりとしている。

「メロスはどうしたのかしら」

「きっと妹のことで何かあったんだよ」

オレは言った。

「あなたはメロスに少し甘すぎるわ。だってそうでしょう。確かにメロスはいつも正しいわ。でも、それによってあなたはいつも傷ついているじゃない。この前だって、あなたは怪我をしたけれど、感謝されたのはメロスでしょう。それは本当に正しいの?」

「どうしてそれを知ってるの?」

オレは驚いて言った。オレはそういうこと、メロスの正しい行動に巻き込まれたことは、できる限りで言わないことにしていた。

「お酒に酔った時に言ってたわ。メロスは正しいけれど、ついていけない時があるって」

妻はまるっきり正しい。オレはそれに対して何も言えない。

「本当はいいように使われているんじゃないの?」

妻の言葉にオレはついに言い返せなかった。

冷めた料理はそれでも最高に美味しかった。オレたちはそれを食べるとまた幸せなふたりに戻った。もうメロスのことはどちらも口にしなかった。結局メロスは来なかった。

 

 

で、やっとコトの発端。

セリヌンティウスが激怒した発端。

妻が噴火したように激怒した発端。

夜中――。妻は布団に入ってすやすやと眠ってる。オレはテーブルに座って、もしかするとメロスが来るかもしれないと考えていた。なんたってメロスはバカ真面目なのだから。

柱の時計が小さく時を刻むのが聞こえてきた。そろそろ諦めて寝よう。きっとメロスは妹の結婚のことで何かあって来れなくなったのだろう。そうしてきっとメロスのことだ。オレの家まで走ってきて言うだろう。

「本当にすまない。本当にすまない」

彼は肩で息をすることもなく、なんなくその言葉を口にするだろう。なんたって彼は持久力にひどく長けている。

「今日はきっと来ないね」

オレはすやすや眠る妻の布団に入って言った。

「まあ、メロスのことよ。きっと明日ものすごい勢いで謝りにくるわ」

オレは妻と同じ考えで少し笑ってしまった。

 

どかどかと走ってくる音がして目が覚めた。

「メロスかしら」

妻が寝ぼけた声で言った。

いや――、メロスがこんなにドタバタ走るはずがない。

オレは飛び起きてドアを開けると、巡邏の警吏が飛び込んできた。

「何かありましたか?」

警吏は何だか同情したように、

「貴様がセリヌンティウスか?」と聞いた。

「そうですが――、何かありましたか?」

壁越しに妻が心配そうにしているのが伝わってきた。

「王様が貴様を呼んでいる」

「――、王様が?」

オレは驚いて大きな声で聞き返した。夜のりんとした空気の中に妻の息をのむ声が聞こえた気がした。

妻はオレのところに駆け寄ってきて、

「いったいどういうことですか」と聞いた。

――、さあ、いったい全体どういうことだろう。オレは妻の言葉を聞いて思った。

いち王様の被害者である警吏は本当に同情しているようだった。

「王様のご命令ですか? セリヌンティウスは何をしたのでしょうか」

こういう時の女ほど強い者はないとオレは冷静に考えている。――、果たして、いつかの女も、やっぱりオレたちが助けなくても何と叶ったのではないかと、心の中でメロスに問いかけようとして、はっとした。そうして昼間感じたメロスへの不安がふたたび思い出されるのであった。

――、メロス。

オレは小さな声で呟いた。

警吏は本当に心底、これ以上ないってほど、同情した顔で頷いた。

妻ははっと息を呑むと、

「ほらやっぱりメロスよ。――、メロスが、メロスがどうしたって言うの!」

と叫ぶように言った。

オレは驚いたように妻を見た。

妻は激怒している。オレはそれを見て心が落ち着いてくるのを感じた。

「メロスが王様に暴言を吐いたのだ」

警吏は言った。オレはそれだけで、その背景が、まぶたに映るようにハッキリと分かってしまった。

「メロスは町の変わり具合を見て怒り心頭で、王宮へきた。そうして王様に向かって暴言を吐いた。おい、ディストリウス、お前はなんて馬鹿なんだって、そんな具合に」

警吏が言うともうひとりの警吏がその言葉に驚いたようにぎょっとして話している警吏を肘で突いた。

「失礼。それで、王様は激昂して、メロスを処刑することにした。だが――、」

「メロスには妹がいる」

オレは警吏の言葉を引き継いで言う。

「妹が結婚を目届けるまで死ぬわけにはいけない。そこでオレを人質にしよう」

警吏は頷いて、

「考えられない」と妻は言葉を失った。

「良いわよ、行かなくって。妹さんには申し訳ないけど、メロスの自業自得よ、それは。ねえ、行かなくてもいいんですよね?」

警吏は頷いた。

「行かなくても良い。メロスは処刑されるが、それは仕方のないことだ」

「メロスは信じている、オレが来ることを」

オレは言った。

妻は怯えるようにこっちを見ている。

「行きましょう」

オレは警吏に言った。

「皆バカみたい。あなたもメロスも王様も――、本当に大バカ」

妻はそう言ってドアを閉めた。

 

 

――、道中。

「本当に大バカだよ」

警吏が言った。

「メロスってやつのことを信じているのか? お前はメロスが帰って来ないと殺されるんだぞ」

オレは首を傾げる。信じている? ――、信じるとかじゃない。メロスは帰ってくるとオレは知っている。返ってこなければそれはメロスではない。

「お前は巻き込まれたんだよ」

警吏がまた言って、オレはまた考える。

オレは巻き込まれた。――、また。メロスはオレはいつも巻き込むが、メロスにはそう言った感覚はないのだと知っている。彼はもし立場が逆転した時、何も考えずに王様のもとに行くだろう。そうして当然のことのようにオレのことを待ち続けるに違いない。

オレのようにこんなに考えたりなんて、メロスはしない。なぜならそれはメロスにとって当然のことだからである。

そう考えるとオレは怒れない。

――、セリヌンティウスは激怒できない。

 

オレには不安なことがあった。

ひとつはそもそも王様が約束を守るのだろうか、というコト。

ひとつは帰った時、果たして妻はまだオレの妻でいてくれるのだろうか、というコト。

「王様は約束を守りますか?」

オレは聞いた。

「そもそもメロスが約束を守るかの心配をした方がいいんじゃないか? 今から戻っても良いぞ」

警吏が言った。

この警吏はきっと優しく、オレのことを思ってくれている。

「例えばメロスが約束を守った時、王様は約束を守ってくれるでしょうか」

警吏はじっと考えるように空を見上げた。

「確かに、最近の王様は少し人間不信に陥っているようだが、その根底には国を良くしたいという気持ちが眠っている。だから多くの人が見ている前で、約束を破るなんてことはしないと思うよ。そんなことしたら国が亡びるもの」

なるほど、とオレは頷いた。

これでひとつめの不安は取り除かれた。

もうひとつはもう、祈るしかない。

――、セリヌンティウスは祈った。

 

 

メロスは激怒していた。

――、と聞いていたが、大人しく座っていた。

王宮にある広場の真ん中――、観衆の真ん中で、王様と対峙するように座っていた。

オレの顔を見ると、メロスは深々と頭を下げた。

「申し訳ない。――、君の家に行けなくなってしまった」

オレは頷いた。そうするとメロスも頷いた。

メロスはオレの手を強く握って、「行ってくる」と言った。

オレはふたたび頷いた。

そうしてメロスは走り出した。オレはメロスが座っていたところに腰を下ろした。

オレはやっぱりメロスは今回のことに対して何も言わなかった、と思った。きっとメロスの中では友達を救うこと、手助けすることは当然のことだと考えているに違いない。例え、そこに命が関わっていようと。あるいはメロスは、命がかかっているなんて考えていないのかも知れない。王様は約束を守るに違いないと考え、自分は遅れるはずがないと考えているに違いない。

オレを連れてきた警吏は寂しそうな顔をして、頭を下げると下がって行った。

――、王様はオレを試すようにじっと見ていた。

「お前は本当にメロスを信じているのか? 俺にはメロスは都合の良いことを言って逃げただけのように感じられるのだが」

「ええ、メロスは帰ってきます」

オレは言った。

王様はふうんと笑って言った。

「確かにメロスは実直で、真面目な性格かもしれないが、例えば道中で山賊に襲われるかもしん」

「まさか」とオレは絶句したように見せたが、メロスの強さは良く知っている。

山賊に襲われようが、クマに襲われようが、メロスは負けないだろう。

王様はにやにやと笑っている。

「王様はメロスが嫌いなのですか?」

「なぜそんなことを聞く?」

「王様もメロスも国を良くしたいという思いでは一致しているように思われるのですが――」

「……お前には本当にメロスが、国のためにやっているという確証があるのか? もしかするとメロスはそうやって民からの支持を得て、俺を失脚させようとしているのかもしれないじゃないか。――、例えば今日俺は六人の民を殺した。だがあいつらはこっそりと他の国の王に手紙を送っていた。それを無視していたら国が崩壊する可能性だってあった。俺はこの国を背負っている。みんなの生活を守らなければいけないのだ。確かに信じることは素晴らしいが、信じた末に国がなくなるのは素晴らしいのか」

王様はそれだけ言うと元気を無くしたように下を向いた。

オレはなんだか、悲しくなった。そうしてメロスが早く帰ってきて王様に、信じれば報われるというコトを証明できればと考えた。

 

――とは言え。

とは言え、メロスの妹が住む町はここから随分と遠く、三日間走りっぱなしでやっと往復できるくらいの距離であった。三日間の間にメロスは妹の結婚式を挙げて、王様が用意しているであろう山賊と闘わなければならない。そう考えると、当然メロスは約束を守るつもりだろうが、物理的に無理なのではないかと考えだしたのは二日目の昼のことである。

オレはここにいる間、囚人が食べるものと同じものを食べさせられるようであった。

生きる上で大切なのは「衣食住」でオレはその全てが制限されるようになった。着るものはメロスが来なかった夜のパジャマのママで、食べ物は囚人の質素な食物。住むところは観衆の絶えない広場で、拘束されている。「衣食住」がままならないと人間の心は歪んでくるらしい。

どうしてこんなことに巻き込まれているのかと考え出した。それはいつかの女性を救った日、二年ぶり何回目かの出来ゴトであった。

オレは激怒した。が、激怒しただけでどうにもならなかった。

「別にお前には罪はない。帰ってもいいぞ」

と王様は言った。

オレはまた考えた。

メロスは当然帰ってくるつもりだろうが、本当に、物理的に帰ってこれるのか。

今はココで帰ると宣言をすれば、あるいはメロスがここまでたどり着けなかった時、オレは殺されないで済む。メロスは今頃どこにいるのだろうか。もしかすると山賊と戦い野に倒れているかもしれない。地面の匂いをかぎながらメロスは思うだろう。

――、すまない、セリヌンティウス。俺のせいで……。

と、すると、オレはココから帰った方がメロスの望みに叶うのではないか。

えんえんと考えていると、三日目の朝がきた。

王様は言った。

「時間切れだよ。お前には罪はないけど、ここにいてもらうことにした。日没までにあいつが帰ってこなければお前を殺そう」

オレは呆然とした。

そうしてオレは朝日に向かって祈った。

 

 

セリヌンティウスは祈った。

なんとかしてメロスが帰ってくるように祈った。もしかするとメロスは今、妹と楽しく結婚パーティーをしているかもしれない。

あるいはメロスはもともとそのつもりだったのではないか、と邪推した。

セリヌンティウスはメロスに騙されて、人質になった。

オレは呟いた。そうするとそれは紛れもない事実のように感じられた。

 

時は刻々と移り変わった。

太陽が登り頂点に達した時、昼飯とともに王様がきた。

「分かったろう。ひとは皆、己を一番に大切にしている。そう簡単に信じちゃいけないってことを」

「メロスは今頃必死に走っているに違いありません」

オレはそう言いながらメロスが妹の夫と談笑している姿を思い浮かべる。

「しかし現に帰ってこないではないか」

「メロスの妹は随分と遠くに住んでいるので、いくらメロスの足だろうと三日はぎりぎりでしょう」

「ではなぜ、お前は引き受けた?」

「メロスがオレに頼んだからです」

「たったそれだけか?」

「ええ、オレらには友情があります」

オレはそう言ってメロスとの友情がいかに強いものかを考えるが、やっぱり頭に浮かぶのはメロスが妹の夫と歌を歌ってる姿であった。

オレはもしかするとメロスを疑っている? ――、いや、どうだろう。その時オレは初めて引き受けなければ良かった。帰ればよかったと思った。

妻のことを思うと涙がでた。彼女はきっと泣き崩れているに違いない。オレは本当にひどい夫であった。

「死ぬのが怖いか」

「いえ、メロスが必死に走っていると思うと……」

と嘘をついた。王様は黙ってオレの前に座った。観衆は多く、あるいはこれではメロスがもし帰ってきてもココまでたどり着けないのではないかと思った。

 

――、もし。

もし帰ってきても――、そう考えてオレは愕然とした。いつの間にかメロスが帰ってこない前提で物事を考えているオレに、その境遇に絶望した。

 

 

セリヌンティウスは祈った。

前を歩いている小さなアリに、羽虫に、太陽に――、全てに祈った。

 

オレと王様は黙って向き合っていた。観衆も声をなくてオレたちを囲んでいた。

日はもう沈もうとしている。

「そろそろだ」

王様は言った。

オレは立たされて処刑台に向けて歩かされた。

その頃オレはメロスに対して特に何を思うわけでもなかった。

ただ、――、オレは祈っていた。

 

観衆の息を飲み込む音が聞こえたと思ったら、わっと歓声が上がった。

「セリヌンティウス、しばし待たせた」

その声に振り返るとメロスがこっちに向かって走ってきた。

「――、メロス」

王様は驚いて声もでない様子である。

「メロス、大丈夫か」

オレは言った。

ぼろぼろのメロスは頷いて、「少し手間取った。二連続で待たせてしまった」と呟いた。

「何があった?」

「何もない、ただ妹には幸福が訪れた。もう俺には思い残すことはひとつしかない」

「この後に及んで、お前にはまた欲があるのか」

王様はまるで鬼の首を取ったように言った。

メロスは頷いた。そうして、

「ありますが、私の思いはここで叶えられます」と王様に言ったあと、オレに向き直って続けた。

「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若もし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ」

オレはメロスの頬を思いっきり殴った。

そうして言った。

「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、ちらと君を疑った。生れて、初めて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」

メロスは微笑んで振りかぶった。

オレはその時ふと思った。

――、なぜオレは殴られなければならないのか。そもそもコトの原因を作ったのはメロスで、オレは巻き込まれただけである、とそこまで考えところで、頭がショートするほどの衝撃をくらい気がつくと地べたに横になっていた。

メロスがオレに手を差し伸べている。オレは揺れる頭でその手を掴んだ。すると、体は急に軽くなり、いつの間にかメロスと抱き合っていた。メロスの肩越しに見える王様は感動したようにオレたちに近づいてくる。

オレはハッピーエンドの訪れを察した。

しかし頭のどこかで、なぜオレは殴られたのかを考えている。三日前オレを連行した警吏が泣きそうな顔でこちらを見ている。

オレはまだメロスに殴られたせいで意識が朦朧としている。メロスはそんなことを感じさせない力強さでオレを抱きしめてくる。

――、不平等だ。

なんたって、メロスは程々に筋肉がついていて、さらに格闘技もやっている。

オレは細くて猫背で、よく折れちゃいそうって言われるタイプ。

オレは朦朧とする頭で、沸き立つ観衆の真ん中で、この不平等に対して、特に意味もなく祈ってみる。

王様はオレの手に手錠をかけた。

――、え?

オレはメロスの顔を見た。

「どういうこと?」

「すまない――、オレが間に合わなかったばっかりに」

「いやでもさ」

と言うが王様が話を遮った。

「君たちの友情には感動した。信じる力の必要に気がつかされたよ。ありがとう」

王様はそう言ってオレの肩を叩いた。

メロスは笑顔で死刑台に向かう。オレは警吏に連れられてどこかへ引っ張られていく。

「オレはどうなるんだろう」

死刑台の方からわっと歓声が上がったと思うと不思議なほど静かになった。

ハッピーエンドの訪れを察したオレは、バッドエンドの訪れの中で強く祈った。

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