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【疑問】相撲の東西ってどうやって分けているの?

疑問 他のモノ・コト

こんにちは。
公衆浴場の雑然とした休憩処で相撲を見るともなしに見ていた時、ふっと思いました。

「相撲ってなんで東西が分かれているの?」

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相撲ってなんで東西が分かれているの?

相撲の東西が分かれたのは奈良時代!?

奈良・平安時代に宮中で行われた相撲があるらしいですよ。
それが、「相撲節会(すまひのせちえ)」という行事。

平安時代、毎年7月に宮中で、諸国から召し集められた相撲人(すまいびと)の相撲を天皇が観覧した行事。初めは7日、のち、大の月は28日・29日、小の月は27日・28日となった。2日前にけいこの内取りがあり、当日は召し合わせといって20番(のち17番)の取組があり、翌日、優秀な者を選んで行う抜き出、衛府の舎人(とねり)などによる追い相撲があった。場所は多く紫宸殿(ししんでん)南庭で行われた。すまいのせちえ。すもうのせち。すまい。《季 秋》
出典:デジタル大辞泉

つまり相撲って奈良時代からある行事なんですね。
そりゃ、国技にもなりますよ。

で、その時は左右で分かれて対決していたらしいですよ。

宮中行事なので、もちろん行事を行う意味がありまして、
左右どちらの力士が勝つかで、1年の占いをしていたらしい。

左が勝つと、田の幸、海の幸が豊作
右が勝つと、畑の幸、山の幸が豊作

左右が東西に!?

で、それが江戸時代に東西に変わったらしく、
実際、現存する最も最古の番付である「大相撲宝暦7年10月場所」(1757年)では東西に分かれていました。

当時、東西の分け方は、
近江国(現在の滋賀県)以東を「東方力士」、以西を「西方力士」
と定めたらしいですよ。

じゃあ、現在はどうなの?

現在は地域関係なしに、実力で分かれているらしいですよー!
前場所の成績を見て、東に強い力士が配属されるらしく、
ちなみにそれも平安時代の「左上位」の考えを引き継いでいるとか。

まるっとまとめ!

  • 相撲の左右(東西)が分かれたのは奈良時代
  • 分かれた理由は宮中行事だったから
  • 左右が東西になったのは江戸時代
  • 分け方は近江国(現在の滋賀県)以東を「東方力士」、以西を「西方力士」
  • 現在は強い力士が東に属する

スポーツ中継をもっと面白く観る方法 (KAWADE夢文庫)という文献を参考にしました!

ちなみに昔は東西対抗制!?

昔の相撲っては東西対抗戦だったって知っていましたか?
嘘でしょうって思うでしょう。
本当らしいですよ。
なんたって、ウィキペディアに書いてありました。

幕内の東西それぞれの勝ち星が多いほうが優勝で、
優勝した方の横綱が優勝旗を受け取ったらしいですよ。

これは楽しいかもしれませんね。
なにより、八百長もできませんし(笑)

でもどっちを応援すればいいんでしょうか?
関東のひとは東で、関西のひとは西?
それか贔屓の多いチームでしょうか。でも配置換えもあるらしいですし。
もうない制度なのでどっちでもいいですけどね(笑)
復活したら楽しいと思いますが……!

ちなみになくなった理由は、幕内力士の減少らしいでですよ。
で、十両以下では行われていた系統別総当たり制を幕内にも適用することにしたとか。
その後1回復活したらしいですけれど、でも人気復活の為にまた廃止されたらしいですよ。

てことは、総当たりの方が人気があるってことですよね。
――これは、謎!

 

ちなみに私はあまり相撲を見ないのですが、見たら不思議なことが沢山ありました。
歴史がある行事は、当時の考えがそのまま残っているコトが多いので、調べてみると楽しいかもしれませんね!

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